About

西日本から創り出す新しい価値観。
 現状の「東京一極集中体制」から「緩やかな多様性を持つ多極分散型国土」への移行を目指した重要な第一歩として西日本最大都市である大阪を核とした第2首都圏を形成する象徴的意味合いから、
「大阪都」の実現を目指すという趣旨のもと、当Webサイトは立ち上げられました。

「特別自治市という全国最高級の権限を持たせた市を持つ大阪都」
「広域行政を都におまかせした、特別区を持つ大阪都」
「現大阪市体制の枠組みのもとでメリットを最大化させ、さらなる発展を目指す大阪都」
「隅々まで声の届く行政実現の為、市町村広域連合体制を採る大阪都」…目指す方向性は様々ですが、
それらの運動を包括して理想的な「大阪都」実現の機運をまずは高めていく、そういった企画でございます。

サイト設立者

ムハンマド@石油王同好会
@mhmd_oilmagnate

「大阪都」推進の歴史

 

 

1932(昭和7)年:「大阪都制案」

大阪市長・関一氏による案 • ”市域分離独立型”大阪都

 最古の都政案は、 帝国政府が設置した大都市制度調査会に委員として参加した6大市(東京、大阪、京都、横浜、神戸、名古屋)の市長 が連名で提出した意見書の中で、 当時の大阪市長である関一氏によって提唱された大阪都制案です。

 この案では、当時の大阪市域を「大阪都」として独立させ、 残りの府域を「浪速県」として分離し、府と市の二重行政を解消するというものでしたが、 結局実現する事なく終わりました (参考資料1参考資料2)。

1953(昭和28)年:「大阪産業都建設に関する決議」

大阪府知事・赤間文三氏による案 • ”市域解体型”大阪都

 戦後初の直接選挙によって選ばれた赤間文三府知事の時代に、 大阪府議会にて全会一致で議決された「大阪産業都建設に関する決議」が2番目に古い都政案となります。
 この都政案は二重行政の解消を目的に考案され、大阪府及び大阪市を廃止して「大阪都」を設置し、 旧市域には複数の「都市区」を設置する(その他市町村は存置する)もので、
 都市区には公選の議会を設置し、区長は区議会の同意を得て知事が任命する形を取るという、 大阪維新の会が掲げるいわゆる「大阪都構想」に近いものであると言えます。

 この案は大都市を府県から独立させ権限を拡大する「特別市」を目指す大阪市への対案として生まれたものでしたが、実際に施行される事なく幻と消えます。

 一方、特別市制度も大阪府・市に限らず全国で県と市の対立が相次ぎ、結局ひとつも導入されぬまま法改正により消滅しました。
 その後、権限を維持したい府県と権限を拡大したい大都市との間の妥協の産物として「政令指定都市」が誕生し、 大阪市も指定される事となりました。
結局、大阪都も特別市たる大阪市も誕生する事もなく、大阪府と市の対立構造は続く事となりました参考資料1参考資料2)。

1967(昭和42)年:「左藤案(仮称)」

大阪府知事・左藤義詮氏による案 • ”市域解体型”大阪都

 1967(昭和42)年、当時の府知事である左藤義詮氏が「大阪府を20区にする、現在の大阪の22区を9区にする、衛星都市を11区にして20区にする、 そして区長は公選にする。
そして20区になりました場合には、名称は大阪都となるかどうかわかりませんが、そこから選出したところの議員をもって、 区選出の議員をもって区政の参議会というものをつくる」
とする構想を持っていたことについて新聞で報道されました。

 一方、これについて当時の大阪市長である中馬馨氏は「最終的には現在の府下全部を最終的に大阪市域にするのが好ましい」という 真逆のプロセスによる二重行政解消の考えを持っていたためこれに反発し、対立していました。 その為この構想は特に進展する事なく流れる事となりました (参考資料)。

2000-2004(平成12-16)年:「大阪新都構想」

大阪府知事・太田房江氏による案 • ”府解体型”大阪都

 太田房江府知事(当時)は、大阪府と大阪市の統合を掲げた大阪新都構想を唱えており、 平成13年の「大阪府行財政計画」でも「『大阪都』構想や府市連合など、これからの大都市の自治システムについて研究します」と明記しています。
 これについて、磯村隆文大阪市長(当時)は府から独立した特別市(スーパー指定都市)を主張し、 またしても府市は対立していました。

 太田氏はその後二重行政解消を目指した改革の最終案として、府を廃止して市町村の新しい広域連合として「大阪新都機構」を設け、 政令市である大阪市の枠組を残したまま住民自治の拡充を図るという案を取りまとめましたが、 構想は具体化する事なく消滅しました (参考資料1参考資料2参考資料3参考資料4)。

2010-2020(平成22-令和2)年:「大阪都構想」

大阪府知事・橋下徹氏率いる大阪維新の会による案 • ”市域解体型”大阪都

 橋下徹府知事(当時)率いる「大阪維新の会」が発表した行政構想で、現在の日本維新の会が推進するいわゆる「大阪都構想」の源流となるものです。 当時の構想としては、大阪府全域を「大阪都」とし、大阪市及び堺市を大阪府(都)と一体化させ特別区に再編し、 周辺市も特別区に組み込み「大阪20区」を実現するものでした (但し、周辺地域の反発の可能性等を考慮して、まずは大阪市のみを対象とされて構想が進められました)。
 モデルは東京都と特別区(23区)であり、区長及び区議は公選制を取るもので、 東京23区よりも区の権限を強めたもの (東京特別区が一般市程度である一方で、大阪特別区は中核市程度)を想定していました。

 民主党政権時代、「大都市地域における特別区の設置に関する法律(大都市地域特別区設置法)」が、 民主党・自民党・生活・公明党・みんなの党など与野党7会派が共同提出する議員立法で可決され、 平成24年9月5日に平成24年法律第80号として公布されました。
 大都市法は、「総務大臣は、この法律の定めるところにより、道府県の区域内において、特別区の設置を行うことができる」と定めるものであり、 従前、地方自治法において特別区の設置を都(東京都)に限定していたものを (地方自治法第281条第1項は「都の区はこれを特別区という」と規定していた)、他の道府県にも開いたものでした。 これにより、維新の会が推進するいわゆる「大阪都構想」は、法的根拠を得る事となりました。

 「大阪都」を実現させる為の構想が法的意味合いで進展したのは大阪府の長い歴史で初めての事でありました。
それに伴い、特別区設置の是非を問う住民投票が2度実施されましたが、いずれも僅差で否決される結果となり、 「大阪都」の実現には至っておりません。 (参考資料)。

なぜ「大阪都」?

 

 

東京一極集中緩和の象徴化

大都市有する大阪を西日本の極・大阪都と公式に位置付ける事により、 大震災等東京有事に備えたバックアップ体制及び一極集中の緩和を「民意的に」誘発させる効果が期待できます。

東西対抗意識の強化

 江戸時代以来、我が国は上方と江戸の2大巨頭が対抗心を燃やしていく事で健全なる発展を遂げてきました。 しかし明治時代以降とりわけ戦中~戦後は文化発信の拠点までも東京一極集中が顕著となっています。
 多様性溢れる我が国の文化をより豊かで華やかにしていく為には、文化の発信地の偏在を段階的に解消していく必要があります。 そこでまずは分散の大きな第一歩として「東日本の極である東京都・西日本の極である大阪都」とメディア上で明確に位置付ける事により、 民間レベルでの「東西意識」を醸成していきます。
 また「都内屈指の○○」という言葉が専売特許でなくなる事により、国民全体の「都民」観も大幅に変わっていく事となるでしょう。

近畿圏の国内及び国際的な地位向上

 大阪府は国内こそ「府」を冠していますが、英語表記は「Osaka Prefecture」...そうです。海外の人からは「大阪県」にしか見えていない訳です。 これを「大阪都(Osaka Metropolis)」にする事で海外からの目線も変わる事でしょう。
 また将来生まれてくる子供達に「日本には1つの都があります。」と教えるのと「日本には行政的な都が2つ、文化的な都が3つあります。」と教えるのとでは 心に刺さるインパクトが大変異なる事は侮れない事実かと思います。
 「"2都"1道1府43県」の形成は、多極分散的国民意識形成の重大な一歩となるのです。

京都府のアイデンティティー再構築

 大阪府が大阪都になる事により、京都府は「全国唯一の府」となります。 これにより京都府は新たなるアイデンティティーを得る事となります。
 また大日本帝国時代、首都になるのに相応しいとされた三府(大阪府、京都府、東京府)が全て都を冠する事となり、 大阪「都」・京「都」府・東京「都」で近世以来の「三都」が再び際立つ事となります。

名称変更実現の方法は?

 

 

想定される2つの方法

大阪市 副首都推進局 広報・調整担当 • 2020年(令和2)12月10日

 大都市法では特別区を設置した道府県を法的に「都」とみなす事が記されています、 道府県の名称そのものが「○○都」に自動的に移行するものではありません
 そのため、名称変更を実現するには大都市法とは別の手続きが必要なのです。
 都道府県の名称について、地方自治法第3条第2項において 「都道府県の名称を変更しようとするときは、法律でこれを定める」と規定されていることから、 大阪都と名称を変えるためには、特別法を定める、 あるいは地方自治法を改正するなどといった対応が必要となります (参考資料)。

検討された住民投票

日本経済新聞 • 2020(令和2)年01月22日

 地方自治法は都道府県の名称変更について「法律で定める」としており、 「大阪府を大阪都に変更する」といった特別法の制定が考えられます。 しかし、特定の自治体にだけ適用する特別法を制定するには、 憲法上、その自治体の住民投票での過半数の賛成が必要であるとされます。
 2020年に実施された大阪市廃止及び特別区設置の是非を問う住民投票が賛成多数となった場合、 2023年4月の統一地方選と同時に「大阪都」への名称変更の是非を問う住民投票を実施する予定でした。 しかし特別区設置の是非を問う住民投票の結果は反対多数となった為、 名称変更を目指した住民投票は実施されない事となりました (参考資料)。

Twitterアンケート

 

 

Twitterにて、「大阪都」への名称変更に賛成する人々を対象に、
「都の中心地(現・大阪市)における政治機構の将来像は?」という内容で
アンケートを実施しました(元ツイート)。
得られた回答数は169票となり、内訳は以下の結果となりました。
特別区派は37.9%となり、少なくとも49.7%以上の方が大阪市の存続を望んでいるという結果が得られました。

  • 最終的に特別区を設置して市を廃止[37.9%]
  • 総合区を設置して市を維持[28.4%]
  • 現状の大阪市体制を維持[21.3%]
  • その他(特別自治市など)[12.4%]